指揮者
後藤指揮者
定期演奏会 曲目
1.武蔵野の秋
2.クラリネット協奏曲
3.Last Dance
4.いのちを紡ぐうた
☆今日も我孫子市は酷暑 空梅雨で近日中に梅雨明け宣言があるとの報道。
☆酷暑の中 個人宅の庭に たち葵(タチアオイ)の花🌸🌸🌸 1本の茎に沢山の花を咲かせている
様子を目にしました。この花は誰もが見れば知っている花、力強く空へと伸びています。
夏の暑さにめげず たち葵の花を見習いたいとも思います。
☆今日は練習参加者は15人でした。
今日は今後の方向性を決める総会・音楽委員会が開催され、練習は上記の4曲でした。
※今日は2ndのY・Yさんの音楽歴のインタビューを掲載します。
私自身の記憶には残っていませんが、3~4才の頃から請われれば喜んでコタツの上で童謡から当時の
流行歌まで歌っていた様です。小学5年生からピアノを習い始めました(最初は足踏みオルガンでした)
中学~高校時代は合唱部に所属。高2の時に音楽の先生から「歌を勉強してみないか」とのお話があり、
レッスンを受け関西の某女子大の音楽学部に入学。卒業時にはラジオ放送の録音のため、大阪のNHKに
出向き無人の広いスタジオで歌うという貴重な体験も致しました。
卒業後は地元に帰り、地元企業の合唱団の ボイストレーナーや個人レッスンをしていました。
結婚後、末娘の入園をきっかけに 女声合唱団に入団(40年にわたり現在も継続中)。合唱連盟の委員や
児童合唱団のマネージメントなどを 手掛けていたこの時代に、故片倉さんとの交流が始まりました。
1989年viva発足の時 団名を 「ヴィヴァ・マンドリーノにしよう」と決めることから関わり35年。
年数だけは一番の古株ですが、演奏に 関しては恥ずかしながら未だに初心者状態です(笑)振り返ってみると
音楽と無縁だったのは子育て時代の6~7年だけでした。
ヴィヴァへの想いとしては10名足らずで発足、
一時は50名近くにまで大きくなったヴィヴァ。50名とは言いませんが、各パートもう少し団員を増やしたいですね‼
最後に私の心の宝物の話をさせて下さい
大学時代 月に一度でしたがバリトン歌手でドイツリートの第一人者だった中山悌一先生に、直接ピアノを
弾きながらのレッスンをして頂いたこと。チェンバロ奏者・ピアニストそして中山悌一先生の伴奏者として
長年にわたりご一緒された小林道夫先生の伴奏法のレッスンを受けられたこと。
鍵盤を滑る先生の細くしなやかな指先は、 今も鮮明に思い出すことが出来ます。そして中山先生が師事されていた
木下保先生(テノール歌手)には合唱をご指導頂きました。日本を代表する名だたる音楽家の先生方に、
直接ご指導を仰げたという事は、 私の中の大きな大きな宝物となっています。以上です。
Y・Yさんの音楽歴 重みが感じられます。ヴィヴァマンドリーノの発足があり、今の団員の出会いがあるのですね。
ヴィヴァマンドリーノでの出会いを大切にしたいですね🌸 練習日誌担当者より