2/14の練習

指揮者
後藤指揮者

練習曲目
<定期演奏会> 
1.  レナータ
2.  武蔵野の秋
3.     クラリネット協奏曲
4.     初恋
5.    ヴィリアの歌
6.     いのちを紡ぐ歌
7.     メモリー
8.     ひまわり
9.     私のお気にいり
10.   サンライズサンセット
11.  糸(練習なし)
12.  踊り明かそう
13.   鳥の人
14.   ラストダンス  

  ☆神奈川 三浦海岸の河津桜🌸の開花のたよりが届きました。菜の花との共演も
   楽しめるようです。
   我孫子市も今日は春を感じる穏やかな一日でした。最高気温15℃ 最低気温-1℃。
  ☆今日の練習参加者は指揮者・団員25名でした。
   2026年定期演奏会まで約3か月となり、真剣さと和やかさが感じられる練習風景でした。
  ☆今日は定期演奏会の楽曲<レナータ>の背景を団員の皆様と共有したいと思います。
    (下記に掲載)時間のある時にご覧ください。

  今日は 常任指揮者である後藤忠之さんの第20回目の音楽講座を掲載いたします。
 大絶賛だったモーツァルトのレッスンを終えると、キング教授からお誘いを受けた。「タダユキ、この日の
 夜は空いているかしら?」聞けば教授のオーケストラの演奏会があるらしい。教授からのお誘いを断る訳
 もなく、二つ返事で伺えることを伝えると、「お友達をたくさん連れていらっしゃい。チケットは何枚でも
 あげますよ。」とのこと。僕はロンドンで知り合ったアニメーション作家志望の友人を連れて、約束の日に
 バービカンセンターのコンサートホールに行った。ロンドンにはいくつもホールがあるが、実のところ
 音響のいいホールは少ない。バービカンセンターはロンドン交響楽団の本拠地だが、響きはデットで
 あまり芳しくない。
 ロイヤルフェスティバルホールにいたっては、さらにドライで、ウィーンフィルの演奏を聴いたが
 かなり残酷だった。ロイヤルアルバートホールは音はいいのだが、すぐ横に大きな道路が走っていて、
 演奏中にトラックのクラクションの音が聴こえてきてしまう。この前、あるピアニストが、日本は環境が
 良すぎて下手になっちゃうと言っていたが実際、日本はいいホールが多い。さて、キング教授お勧めの
 演奏会が始まった。

 1曲目は現代作曲家による新曲の初演、中プロはソプラノのバーバラ・ボニーを迎えて、モーツァルトの
 アリアを数曲、そしてメインはマーラーの交響曲第4番だった。マーラーの4番はその後もいろいろな
 演奏を聴いたが、今のところこの日聴いた演奏を超えるものに出会っていない。
終演後、客席の僕を
 見つけた教授はステージから手招きをして、ステージ袖に僕を呼んだ。僕の画像検索をすると出てくる
 緑の衣装を着た教授と写っている写真は、この時のものである。教授から数えきれない程、本当に沢山の
 ことをいただいて、いよいよ日本に帰国すると、もう一人、憧れの人との出会いが待っていた。続く。

 ☆<レナータ>の正式名は 序曲『レナータ』 ですが日本では『レナータ』と言われていることが多い
  ようです。
 ☆<レナータ>は南イタリアの躍動を感じさせる情熱的な楽曲です。明るく華やかな旋律が
  特徴でもありますが、独特の甘い旋律もあり感じ方は個々異なると思われます。
  この<レナータ>は作曲家ラヴィトラーノの代表的なマンドリン合奏曲の一つで1909年にパリの
  レステユーデイアンテイーナ誌の作曲コンクールで受賞された曲です。当時はマンドリンの甘い旋律が
  一般的であったが、<レナータ>のきびきびとした旋律は高く評価されたようです。
  この楽曲はユグノー宗教戦争の最中自分の信仰を守った女性の半生を描いており、激動の人生を
  送りました。

  題名の<レナータ>は女性の名前(イタリア語でレナータ・デイ・フランチア)
  (フランス語でルネ・ド・フランス)を指します。
  ユグノーによる宗教戦争は1562年~1598年(休戦を含め約40年続く)この戦争はフランスでの
  カソリック教徒とカルヴァン派のプロテスタントであるユグノーによる宗教戦争。
  レナータ(ルネ)はフランス王ルイ12世と王妃アンス・ド・ブルターニュの次女として1510年に
  フランス中央部のブロワで生まれました。
レナータはローマ教皇アレクサンドル6世の孫にあたる
  エルコレ2世と1528年に結婚。
  エルコレ2世は結婚後 皇位継承等の複雑な理由もあり、反フランスに鞍替えした。レナータは
  プロテスタントと連絡を取りあっていたこともあり、妻であるレナータを異教徒だと告訴、
  異端審問(宗教裁判)が行われ、2人の娘がレナータから連れ去られたりする事件もあったと。

  プロテスタント信仰を撤回しても全財産は没収・身柄を拘束される。夫の死後、レナータは
  解放されたが、長男は宗教的異端である母をフランスに送還する。
  レナータは私領地モンタルジの城に移り住んだ。モンタルジの城はユグノーの信仰の拠点になったとも
  言われています。
  1572年サン・バルテルミの虐殺に遭遇しレナータは多くのユグノーを救い出したという記述もあります。
   ※サン・バルテルミの虐殺:パリでユグノーを2000人~4000人を虐殺、
全仏で数万人のユグノーが虐殺された事件。
  レナータはサン・バルテルミ事件の3年後生涯を閉じた。レナータは生前モンタルジの礼拝堂に埋葬
  されることを望んだが息子の命によりカソリック聖職者によって葬儀が行われた。
  激動の時代に生きたレナータ(ルネ)は新しい芸術と科学を取り入れる進歩的な女性であったとも
  言われています。
                          ※Wikipedia一部参照                                
   以上<レナータ>の楽曲の背景について記述しました。
  ※宗教戦争の記載につきましては過去の歴史的事実であり、宗教を冒涜するものではありません。
    <レナータ>の時代背景等を知ることにより、より一層 良き演奏に繋げたいと思い掲載しました。
 
                                        練習日誌担当より
  ☆演奏については練習時に折に触れて後藤指揮者からご教示を戴いています。